日本の自動車メーカー

日本は、世界でも有数の自動車メーカー王国とも言えます。欧米のメーカーと比べると創業年数は短いものの、技術力・品質・燃費性能などでトヨタが世界販売台数でトップを獲るなど、世界中で販売する巨大メーカーが存在しているのが特徴です。

自動車メーカー概要

トヨタ自動車    

レクサス
トヨタ自動車は、日本の自動車メーカーの中でも最大手であり、世界的にも最大規模のシェアを持っています。
トヨタ自動車は、高い生産効率と品質管理による信頼性の高いクルマを長年にわたって生産してきました。
たとえば、燃費性能が高く経済性にも優れたハイブリッドカーや小型車などがあります。
これらの車は、燃料費が安く、コストパフォーマンスが高いと評価されていす。
今後は、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)の達成に向けて、2030年の電気自動車(EV)の世界販売台数目を350万台へと大幅に引き上げました。350万台はトヨタの年間販売台数の3分の1にあたる規模です。
レクサスはトヨタ自動車の高級車ブランドですが、販売ホームページは別になっています。
レクサスのモデルや価格などはレクサスの公式サイトでご覧いただけます。
日産自動車 日産とルノーの関係は、経営危機に陥った日産が1999年にルノーから出資約6000億円を受け入れることから始まりました。
カルロス・ゴーンが再建のため送り込まれ、リストラを断行、V字回復を成し遂げました。
その後、技術面・生産面での協力関係は進み、いまでは事業規模で日産がルノーを上回るようになってきていました。
2023年1月30日、日産自動車はルノーとのアライアンスに関するあらたな声明を発表しました。
それによると、日産株の43%を保有していたルノーは、保有比率を引き下げ、日産と同じく15%ずつを出資しあう対等な関係を構築するようです。
それは、日産にとって悲願の達成ともいえるでしょう。
このルノーとの対等な資本関係の実現によって日産は、自社の技術力をより積極的に生かし、これから予想される世界の自動車産業の大変革に対応する準備が整ったとも言えるからです。
本田技研工業 ホンダといえば、1958年発売の二輪「スーパーカブ」が、生産台数1億台以上というロングセラー商品として有名ですが、1963年からは自動車の生産も始め、「シビック」「アコード」など四輪車部門でも確固たる地位を築いてきました。
また、バイクや自動車で培ってきた技術を応用して、航空機やロボットなどの事業領域でも新しい商品を開発しています。
ホンダは、独自の技術力を持ち、特にエンジン技術においては業界をリードするとされています。
たとえば、VTECと呼ばれるものですが、これはバルブの開き方を可変させて、「パワー」と「低燃費」を両立させるという無理難題を実現させてしまった技術革新でした。
1クラス上の高出力が出せるので、排気量を下げて、軽量・コンパクトなエンジンを搭載することができるので、今ではハイブリッドカーや軽自動車にも搭載されています。
これは、ホンダが大切にしている「キビキビした走り」「広い車内空間」を確保することにも大きく貢献しています。
パワフルでハイレスポンスな現行のシビックタイプRの乗り心地は、「VTEC」無くしては実現不可能と言えるものです。
マツダ マツダは、「クルマに命を与える」という哲学のもと、生命感あふれるダイナミックなデザインのクルマの創造を追及してきたクルマメーカーであり、そのデザイン哲学は「魂動(こどう)-SOUL of MOTION」と呼ばれてきました。
そのデザインは、力強く流れるようなラインとともに野生的なエネルギーを表現しており、マツダ車の特徴となっています。
しかしそれは、日本の美意識を基礎とした「新たなエレガンス」の表現を追求しています。
控えめであるけれども豊かな美しさを持つ、凛とした印象の中にもゆとりがあり艶がある。
そのイメージを、マツダらしい「エレガンス」としてクルマのデザインに表現してきました。
さらに、技術開発においてもロータリーエンジンは、マツダにとってクルマづくりの「志」そのものでした。
ロータリーエンジンは、マツダにとってのクルマづくりとは何かという、時代の趨勢に揺るがず、半世紀以上にわたる夢・想い・貫くべき志そのものだったのです。
SUBARU 「クルマは人の命を乗せて走るもの、だから安全を最優先に考える」という思想が脈々と受け継がれているのがSUBARUです。
まだ世の中に安全志向というものが浸透していなかった1960年代から、SUBARUでは独自の衝突安全試験を実施してきており、いまでは国内外の安全性評価において常にトップクラスの評価を受けています。
SUBARUは、先進運転支援システム(ADAS)の高度化によって死亡交通事故削減を目指し、SUBARUの得意とする衝突安全の強化によって乗員の傷害を軽減し、さらに先進事故自動通報(AACN)で救命率を向上することにより、2030年に死亡交通事故ゼロの達成を目指しています。
SUBARUの理想を叶える、独創的かつ合理的なコアテクノロジーとして、4輪駆動システム、シンメトリカルAWDがあります。
その最大の特徴は、水平対向エンジンを核としたパワートレーンが、左右対称・一直線にレイアウトされていることにあります。
これにより、4輪にバランスよく荷重がかかるため、タイヤの接地性をしっかりと確保でき、4輪駆動のポテンシャルを最大限に引き出せます。
雪道・泥道・雨に濡れた道、そして高速道路まで、さまざまな条件の道を安定して駆け抜けることができます。
スズキ スズキは、モノづくりの根幹である「小・少・軽・短・美」、柔軟さ・素早さ・チャレンジ精神を忘れない「中小企業型経営」、机上の空論を排した「現場・現物・現実」の三現主義で行動し、スズキらしい2030年度に向けた成長戦略を進めています。
スズキは、これまで車体が小型でありながら、燃費が良く、価格が手頃な「軽自動車」の製造に力を入れてきています。
主要事業地域である日本・インド・欧州を核にして、カーボンニュートラル社会の実現と、インド・ASEAN・アフリカなどの新興国の経済成長も視野に入れています。
急成長をつづけるインドの乗用車市場で、販売台数300万台(2021年度)のうちスズキが占める割合は43.4%と、インドでのシェアNo.1を誇ります。
「価値ある製品」をつくる、というスズキの企業姿勢は日本をはじめとして、世界各国から多くの期待を寄せられ、現在、海外の18の国や地域で28社の現地生産会社が稼働しています。
三菱自動車工業 三菱自動車工業の歴史は1870年(明治3年)土佐が九十九商会(つくもしょうかい)を開業し、岩崎彌太郎が経営者に就任したところから始まります。
三菱商標(スリーダイヤ・マーク)を1914年(大正3年)に登録。岩崎家の家紋「重ね三階菱」と土佐藩主であった山内家の家紋「三ツ柏」に由来すると言われています。
1917年(大正6年)に「三菱A型」を発売。A型は1921年までに22台生産された、日本初の「量産乗用車」です。
戦後、三菱財閥は解体しましたが、1964年には分割していた3社を合併して「三菱重工業株式会社」を発足、三菱グループを再生させました。
その後1970年(昭和45年)に、クライスラー社と合弁事業に関する契約を終結し自動車事業部門を分離、「三菱自動車工業株式会社」が誕生しました。
2003年(平成15年)にはトラック・バス部門を分社化し、「三菱ふそうトラック・バス株式会社 」としました。
そして、2016年(平成28年)に日産自動車が筆頭株主となり、日産自動車とフランスのルノーと「ルノー・日産・三菱アライアンス」を構成しています。
ダイハツ工業 ダイハツは、自動車を生産する日本のメーカーでは、最も古い歴史を持っています。
明治40年(1907年)、発動機(エンジン)を国産化すべく学者や技術者が中心となり、大阪で「発動機製造株式会社」を設立。
昭和5年(1930年)に初めて自動車の生産を開始。その名は、大阪の「大」と発動機製造の「発」を組み合わせた「ダイハツ号」。
このダイハツ号によって、自動車メーカーとしての第一歩を印すことになりました。これが、戦後の軽自動車・小型自動車など「スモールカー」のダイハツへと発展していったのです。
昭和32年(1957年)に発売した軽三輪車「ミゼット」は、使いやすさと経済性で人気が爆発、東南アジアなど多くの国にも輸出されました。
その後、いまでも活躍している軽商用車「ハイゼット」や、「タント」や「ムーブ」など数々の人気の軽自動車を世に出し、小さいクルマのエキスパートとして現在の地位を確立しています。

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